唐津くんち 八番曳山 金獅子
おはようございます☀
今日は夜遅くから雨予報で明日まで降るみたいです。
そのあと気温が下がるみたいで、体調管理追いつかない😅
今日は唐津くんち八番曳山 本町 金獅子です。
本町(ほんまち)
札の辻門口から入って、2本目の南北町筋が本町である。 築城当初からの町で、城下町の惣行司の順番や唐津17カ町の順番で第一番目の役割を担った町である。
商人と職人が半々の町で藩の御用米問屋、日田御用達などの商屋と屋根師棟梁、桶師棟梁、木挽棟梁、御用仕立屋があった。 本町の町年寄りを務めた楠田家は出雲大社の社人の足場となった[出雲宿]でもあった。 また楠田家は安政年中には藩の武具方役所で皮座を創設し、皮革の独占的な統制をおこなった。
また、他藩からの公式の来訪客や城下を通過する幕府役人が泊まった[御使者屋]も土井時代から本町にあり小笠原時代には町会所兼郷会所ともなり、町人の宗門改の人別も行った。 この御使者屋守であった富野家から曳山制作に関わり幕末頃の曳山行事を克明に描いた『唐津神祭行列図』の作者である富野淇園が出た。
町の規模は40軒、205人と記録されています。
弘化4年(1847).1番町として1番曳山[赤獅子]に負けない獅子曳山として作られたのが、八番曳山【金獅子のである。
金獅子
外観は1番曳山 赤獅子 二番曳山 青獅子と同じように獅子頭を題材としている。
名前の通り全体を金で覆っている。
さらに、赤獅子、青獅子とくらべ本体が大きめである。
構造形式
本体獅子頭形。 一閑張りに麻布を張り、地付・錆付で下地を作り、下塗り・中塗り、上塗りの漆塗りを行い、金箔で押す。 部分の唇、鼻内、耳内は朱塗、目は白漆、眼球、巻毛立上がりは黒漆、歯はプラチナ箔押し。
制作年 弘化4年(1847)
製作者 不明だが一説では石崎八左衛門、塗師は原口勘二郎と伝えられている。
全体が金ピカの豪華な曳山😊
【今日の卵焼き】 はおやすみです。
ではまた👋