nasubonnobusanのブログ

日頃の出来事や気に留めた事など思ったことを書いてます。

唐津くんち 十一番曳山 酒呑童子と源頼光の兜

おはようございます☀

今日は朝から寒い😨 日中も20度まで上がらない予報です。。。

もうすぐ11月。 寒くて普通なんでしょうけど今までが暖かすぎて感覚がw

本日は、唐津くんち 十一番曳山 米屋町 酒呑童子源頼光の兜です。

米屋町(こめやまち)

内町西側の縦町筋にある米屋町で、西側は八百屋町、南は平野町と交差する。 米屋町から八百屋町に入ると、現在も道幅に旧藩時代の面影を残す数少ない場所である。 米屋町に残る延宝年間(1673〜1680)の絵図によれば、紺屋5軒、米屋4軒、八百屋4軒、大工4軒、鍛冶屋4軒、酒屋、酢屋、医師、寺が読み取れる。 旧藩時代の御勝手御用達で現在まで家職を伝えているのは古屋と呼ばれた「古舘正右衛門家」で酒造りを営んでいた。 また、小笠原家の御用米問屋である米屋こと「吉村藤右衛門家」もあった。 寺は、名護屋六坊と呼ばれた古刹(こさつ)、行因寺、本勝寺がある。

文化年間の町の規模は36軒、88人と少なく、隣町筋の八百屋町が44軒、139人とすると町の性格がわかる。 明治2年(1869)に制作されたのが十一番曳山【酒呑童子源頼光の兜】である。 制作年代の相前後すること木綿町、平野町、米屋町はそれぞれの曳山の題材を協議して決めたという。

酒呑童子源頼光の兜(しゅてんどうじとみなもとらいこうのかぶと)

外観は源頼光に退治された鬼の頭領であった酒呑童子源頼光の兜に噛み付いている。 酒呑童子の眼光は怒りに満ち、血走っている。 酒呑童子の眉毛と髭は黒色で頭髪は白色。

噛み付いた酒呑童子の左右に兜の鍬形があり、眉比には、三つの菊座が取り付けられている。 吹き返しには龍頭が描かれる。 錣は四段組合わされ、それぞれの赤色の縅(おどし)で結合される。 兜と首を絞める忍緒(しのびのお)は眉比の下部に取り付けられる。

制作年 明治2年(1869)

酒呑童子源頼光に討ち取られて首だけになって源頼光に喰らい付いた場面らしいですが、 子供達は怖がってる方が多いですね。

迫力があります👍

【今日の卵焼き】

今日は変わり種で見た目も悪いです。

今日はネスカフェのフワラテハーフ&ハーフを使いました。(お湯で溶かして飲むスティックのコーヒー)

フワラテを少しのお湯で溶きます。 溶いたら卵3つ入れて混ぜてください。

卵焼き器にオリーブオイル、バターを熱して焼いていきます。

で、出来上がり…

色わるっ!!!

息子は給食なんで朝ごはんで食べてましたが、一口食べて「美味しい!から最後に食べる!」 って言ってたけどホンマかいな。。

味音痴かな?

娘たちと奥さんは後から食べるので、夜に感想聞きますねー。

ではまた👋