nasubonnobusanのブログ

日頃の出来事や気に留めた事など思ったことを書いてます。

唐津くんち 十二番曳山 珠取獅子

おはようございます☀

めっちゃ寒い🥶 すぐにこたつ付けたw

今シーズン一番の冷え込みらしいです。 日中は晴れでかなりあったかいみたいですね☺️

今日は 唐津くんち 十二番曳山 京町 珠取獅子です。

京町(きょうまち)

町田川に架かる大橋、札の辻橋を渡れば、札の辻惣門と呼ばれた門構えがあった。 現在の札の辻公園のあたりである。 この門口から西の横町筋が京町である。小笠原時代、天保頃の唐津藩大坂御蔵元として名が見えるのは「大根屋小兵衛」、「長崎屋平右衛門」であるが、京町には「御蔵元京町出張手代」と呼ばれた大根屋、長崎屋にあった。 また、京町には九州の豪商として大坂あたりにまで名の知られた日野屋、常安家があった。 安永から寛政頃に事業を営んだ常安九右衛門は神集島(かしわじま)の鰯の大敷網(おおしきあみ)で財をなし、呼子小川島で鯨組主中尾家の中尾甚六と一緒に捕鯨業にも乗り出して富を得て、太宰府天満宮に青銅製の鳥居を寄進している。 その名は、伊能忠敬の測量日記にも記録されている。

文化年間の町の規模は50軒、114人である。 京町の入り口札の辻橋は内町と外町を結ぶ唯一の大橋であった。 明治31年に鉄道が敷設され、なお一層繁栄したという。 札の辻公園地はかつて藩の御用地であった。 土井時代には町奉行の役宅があったが、明治3年(1870)に唐津藩医保利文亮によって医学官橘葉医学官が建てられた。 明治9年(1876)には公立唐津病院となったが、大名小路に移転し、明治20年頃(1887)には郵便局が設けられている。 明治8年(1875)に制作されたのが十二番曳山 [珠取獅子]である。

珠取獅子

外観

獅子が朱珠にしっかり爪を食い込ませて乗る形態が特徴の曳山である。 [珠取獅子]は一般的には前橋の片方で珠を押さえる形態であるため、この十二番曳山[珠取獅子]のように4本足で珠の上に乗っているのは珍しい。

獅子は全体が緑に塗られ、渦巻き模様の毛並みの部分は金箔押しと本体と同色の緑色で交互に塗るシンプルな色相構成と筋肉を思わせる表面の曲線により、力強さ、逞しさが見られる。

珠は全体が朱色で塗られているが、真ん中水平方向に2本の金箔押しが施される。

制作当初は本体内側から幕を吊っていたようであるが、いつのころか八角形の幕吊り枠を取り付け、円形の珠を強調するようになった。

四足で珠に乗る姿は、19世紀の唐人町御茶盌窯の後期唐津にも見られる意匠であるが、細工人富野淇園はより一層卓抜な造形を造り上げている。

制作年 明治8年(1876)

製作者 細工人  富野淇園     塗師棟梁 大木卯兵衛     塗師   大木啓助

他の獅子とはまた違う感じの曳山です。

この獅子も魅力があって好きです🤭

【今日の卵焼き】

今日は『クノールのコーンポタージュのカップスープ』があったので使います。 わたしはコーン嫌いなんですがw

めちゃ簡単。

卵3つに少しのお湯で溶いたコーンポタージュ一袋(一カップ分?)入れて、塩胡椒して混ぜて焼くだけ。

多分美味しいはずですw

昨日のは賛否両論でしたw

ではまた👋